僕の大好きな人物、田中角栄について紹介します。①
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やぁ。おいらです。今回はタイトルの通り、故田中角栄先生(以下、敬称略)について紹介しようと思います。
田中角栄は本当に魅力的な人物で、知れば知るほど味がでる人だと思います。
今回だけではないですが、僕のブログでは、これで全部がわかる紹介というよりは、自著本や詳細に知りたいと思った際に手助けになる紹介にしたいと思っています。
そのため、youtubeで散見される動画やwikipediaをざっくりと引用させていただきながらこのブログを書かせていただきたいと思います。
今回は中田敦彦さんのこちらの動画、また一部wikipediaを参照させていただきました。
①では角栄の幼少期から政界入りまでを書いていきたいと思います
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A7%92%E6%A0%84
幼少は極貧、それに加え吃音だったこともあり、よくいじめられていたといいます。
僕初めて調べたときびっくりしたんですけど、角栄は吃音を自力で直したそうです。
吃音と言えば今でも直す外来があるくらい難しい病気、もしかしたらこのころから角栄は努力家だったのかもしれませんね。
さ、話を戻して。角栄は高等小学校をとても優れた成績で卒業します。
この時角栄は「親への罪悪感」から旧制中学への進学を断念します。
その後角栄は上京し、土木会社で働きますが続かず。三か月ほどでやめてからは書生として勉強しようと思い立ちますが、不手際があってその志はかないませんでした。
そこで角栄は中央工学校に入学、とうじ早稲田大学から出ていた土木関係の書類を使って勉学に励みます。
転機が訪れたのは学校を卒業した後に訪れました。
当時土木課を卒業し、ある会社で働いていましたが、事務所の偉い方が徴収されるという事情から「共栄建築事務所」を設立します。
そこからのち、角栄は共栄建築事務所から「田中土建工業」ほと名前を変えます。
ここは聞きなじみのある名前ですよね。
この田中土建工業がある政治家に献金の依頼をしたことをきっかけに政治への道を志し、新潟一区でトップ当選を果たします。
こんかいはここまで。②では政治家の橋崖からどのように内閣総理大臣になったのかを解説しようと思います。
疲れたので寝ます。じゃあの。